縁起

橋本関雪以前 / はしもとかんせついぜん / before Kansetsu Hashimoto

瑞米山月心寺は、逢坂の関を少し京都に進んだ南側に所在する、
臨済宗系の単立寺院であるが、元は古くから遺されていた相阿弥の作と謂われる「走井庭園」があり、
その周囲には走井を源として茶屋が点在していたという。

蝉丸法師、小野小町、松尾芭蕉、明治天皇、高浜虚子などに縁のある場所という伝えもあり、
敷地内にそれぞれの旧跡が遺されている。

蝉丸法師
小野小町
松尾芭蕉
明治天皇
高浜虚子
相阿弥
篠原薬師
歌川広重

橋本関雪は なぜ 月心寺を得るに 至ったか / はしもとかんせつは なぜ げっしんじをうるに いたったか / Why did he get the The Gesshinji-Temple?

橋本関雪は1916(大正5)年この地を購入、部分的な営繕を行ない別邸にしたとされる。

別邸を営んだ理由に、この地のある逢坂の関が自らの雅号の由来であることが挙げられる。
「関雪」というのは、故事より父である海関が名付けたものである。

伝え聞くところによれば、藤原兼家が雪降る逢坂の関を越える夢を見、
その話を聞いた大江匡衡が「関は関白の関の字、雪は白の字。必ず関白に至り給ふべし」と夢占いをし、
果たして翌年、兼家は関白の宣旨を蒙ったという。

これを由来として、橋本貫一は、「関雪」と名乗るに至り、
果たして、日本画家・橋本関雪としてその名を世に轟かしめた。

それゆえ関雪は、この走井庭園の遺物などが散逸することを惜しんだ。
大正期、敷地が広大であったがゆえに、あわや切り売りされる直前にこの地を自らの預かるものにしたのである。

関雪の想いにより存続されたこの地は、現代に至るまで、小町の、蝉丸の、相阿弥の、芭蕉の、
明治天皇の足跡がそのままに遺されている場所であり続けている。